くりいむレモンの制作者、富本たつやとは

第ニ章 神の手をもつもの

 マンガ家となってからも、富本氏の筆致は冴えわたるばかりであった。右のイラストをご覧いただきたい。これは80年代の終わりごろに富本氏が描いたものだが、わたしはこれほどまでに艶やかで美しい女性の絵を見たことがない。
 富本氏はもともと画家になりたかったそうだが、このイラストの出来映えをみれば充分にうなずける。モデルの女性についてすこしだけふれると、彼女は「エスカレーション」の登場人物で、「早川ナオミ」という名の女王様≠ナあった。
 商業誌に連載を持つかたわらで、富本氏はみずからのこころの渇望を満たすがごとく、商業レベルにコード上、載らないイラスト群を(ひそかに)描き著していた。それらは同人誌のかたちで発表すべく準備されており、「表面張力」というタイトルもすでに決まっていた。
 決して恥ずかしいとも誇らしいとも思わぬが、わたし、そして(当時の)富本氏は精神的SM愛好者であった。なにゆえ“精神的”かといえば、それは現実の世界でまことしやかに流布されている「SM」が真実を表してはいないと考えるためである。
 中世ヨーロッパの異端審問やマルキ・ド・サドの「悪徳の栄え」にSMのあるべきすがたを感じる者にとって、カネでぞんざいにプレイをする「SM」などは唾棄すべきまがい物としかみえない。
 だからこそ、現実の世界においてSMの美学を究めんと欲するならば、それは創作物によってしかないとわたしなどは考えていた。
 そして、運命の1987年12月、コミケット33において「表面張力」はリリースされたのだった。事前の告知がほとんどなされなかったため、わたしも含めて買えた人間は幸運であった。なぜなら、“真の”「表面張力」はわずか700部しか刷られなかったからである。
 この直後、中古同人誌市場において「表面張力」は“最長不倒”の50,000円という価格をつけた(わたしは実際に世田谷のコミケットサービスで、この値札をみている)。
 正直に記すならば、わたしはこのときまで富本氏と面識がなかった。くりいむレモンのクレジットからその名は知っていたものの、遠い存在といったイメージしかなく、知り合いになろうとも特には思わなかった。
 しかし、「表面張力」にて発表されたイラスト付き小説「黒猫館(あやの手紙)」を読んだ瞬間から、わたしの考えはがらりと変わった。例として一節を挙げよう。

 旦那様は身をよじって恥ずかしがる私の姿をしばらく眺めて楽しんだ後、やがて私が処女であるかどうかの“検査”を始めたのです。
 両足をそれぞれ椅子の肘掛けと背もたれに縛りつけられた私は、旦那様がその真下の座って、丸見えの秘部を覗き込むのを防ぐどうする手だてもありません。
 生暖かい息が私の恥丘にもろにふきかかり、淫欲に血走った視線が全身を舐めまわしてゆく・・・
 そして左手をお尻に、逃げられないように押さえつけ、右手の指でふっくらした花びらを撫で、ゆっくりとめくりひろげました……
 これ以上ひらかないと云うところまで・・・

 
 すごいと感じないだろうか。わたしにとっては小妻容子画伯(緊縛画の大家)の絵をはじめて見たとき以来の衝撃であった。
 「なんて耽美的で、匂やかなのだろう。SMに対する“愛”の深さはわたし以上かもしれない。できることなら、このひとと話したい・・・」 昂ぶりをおさえきれずに、わたしは一回目のレターを送ったのであった。
 ここですこしだけ「黒猫館(あやの手紙)」の内容を説明しておこう。「黒猫館」が富本氏の手によるアダルトアニメだったことは第一章で簡単にふれた。
 「黒猫館(あやの手紙)」はその前章をあつかっており、両親の事業の失敗から黒猫館と呼ばれる屋敷へ女中奉公に出た少女あやが、館のあるじ、鮎川有恒に調教されるさまを彼女の視点から描いた内容はあまりに鮮烈といえた。
 右のイラスト(下の二枚)はそのとき飾られた挿絵の一部である。こんな女性の表情を描けるマンガ家はほかに絶対いない!
 コミケ終了後、その圧倒的な内容に気付いた者たちから、「表面張力」再版の希望が相次いだ。しかし富本氏にその気はなく、ここに需要と供給の極端なアンバランスにめざとく気づいた犯罪サークル「MINIES CLUB」の暗躍する余地が生まれてしまった。
 かれらはファンをよそおって、富本氏に近づき、その筆致を空疎な言葉で只々讃え上げた。
 一度印刷された原稿は作家にとって無価値なものという信念を持つ富本氏は、そんなかれらに「表面張力」の原稿をあげてしまったのだ。
 実のところ、カネがほしいだけの「MINIES CLUB」は富本氏の原稿を即印刷に回し、推定で10,000冊もの増刷と一般マンガ書店への卸を強行して暴利を貪ったのであった。信頼を踏みにじるかたちで。
 それだけではない。他の有力なマンガ家を釣る手段として、あろうことか「表面張力」の原稿をバラまくことまでやっていた。
 かれらは同人誌を新しいカネづると考える暴力団関係者であった。女性が代表者となって偽サークル「MINIES CLUB」を運営し、有力マンガ家をだますというのがかれらの手口で、91年3月に警察に一斉逮捕されるまで、10名以上のマンガ家が被害を被ったと推測されている。
 このような事件が起きたために、富本氏は「表面張力 PART2」の発行をあきらめ、あろうことか、同人誌そのものまでも忌みきらうようになってしまった。わたしがおなじ立場に立たされたとき、ちがう選択ができるか否かは見当もつかないが、すくなくとも己が心血を注いでつくりあげた作品だけは否定しないように思う。
 しかし富本氏はこの事件以後、みずからのアイデンティティの一部でもある「艶やかさ」をなるべく見せないかたちで、作品づくりをするようになってしまった。
 わたしが富本氏と直接話すようになったのはちょうどこのころで、あとほんの少し早く会うことができれば、助言もできたのに、と切歯扼腕したものの後の祭りであった。
 そしてここから、長い話し合いの日々が始まった・・・。

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