くりいむレモンの制作者、富本たつやとは

第一章 ひとに歴史あり

 富本たつや氏の「業界」デビューは意外なかたちからだった。時は1984年、当時アニメーターをしていた富本氏のもとへ(正確に記述するなら、かれが所属していたアニメ制作会社へ)、風変わりな依頼が舞い込んだ。
 それは18禁のアニメをつくるという前代未聞のプロジェクトだった。禁断の愛に身を焦がす兄妹、ヒロシと亜美の物語はその後、一世を風靡することになるのだが、当初の企画は噴飯もののキャラデザインでしかなかった。
 あまりのひどさに、「こんな絵柄じゃ売れるはずない!」と訴えたのが“きっかけ”となった。富本氏のひとことに心を動かされた制作会社社長N氏は「ならば、きみ、やってみなさい」と号令をかけ、ここに動画マンだった富本氏の作画監督昇格が実現する。
 そして、氏の手による「媚・妹・Baby」「エスカレーション」がリリースされた。制作、配給、ともにそれほど売れることはないと考えていたのだが、ふたを開ければ、オリコンチャート1位を獲得するAV史上空前の大ヒットとなった。
 成功した要素は多々あろうが、決め手はヒロインの「亜美」を演じた及川ひとみさんの可憐な声と、そしてなによりも、富本たつや氏による“官能を刺激してやまない”キャラデザインにあった。富本氏の絵はそれまでの“美少女”を一気に10年以上も古くさせるほど魅惑的で、かつ艶やかだった。
 制作会社側もそのことに気付いたのだろう。以後、くりいむレモンシリーズはしばらくのあいだ、富本氏を中心に制作されるようになった。
 事実上の監督としてストーリーづくりまでも任されることとなった富本氏だが、かれはその負託に対し、充分応えられるだけの力量を有していた。絵だけが魅力的だったわけではない。ストーリーテリングに関しても、また、富本氏の実力は傑出していた。
 それは、くりいむレモン PART 5「亜美 AGAIN」 PART 6「エスカレーション2」 PART11「黒猫館」をご覧になれば即座に理解できることであろう。上記の三作は富本氏がストーリー、脚本、キャラデザイン、コンテ、原画、作画監督等をすべてひとりでこなした労作であり、また、もっとも富本色の強い作品として、ファンの間ではいまなお語り継がれている。
 物語全体をおおう、もの悲しい雰囲気、透徹した視線で語られる無常観、あまりにも美しくそしてはかない登場人物たち、これらの情感および匂いは富本たつや氏以外のなにものにも紡げぬ、いわば未踏の極地であり、同時に富本氏を富本氏たらしめているアイデンティティそれ自体でもあった。
 やはりというか、「亜美 AGAIN」「エスカレーション2」「黒猫館」はすべて、オリコンチャートAV部門売上1位を記録したが、このあたりから富本氏と制作会社との間で、考え方に齟齬が生まれはじめた。
 制作会社側は当然、いまのまま“売れる”作品づくりを続けてほしいと願ったが、富本氏自身は好きではじめたアダルトアニメではなかったことから、“普通の”アニメづくりを希望した。結局、両者の意見はかみあわず、1986年に富本氏は退社して、マンガ家となったのであった。

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